図のように、コンピュータは、それらを信号に置き換える。電球にたとえれば、いくつかの電球が、どのような組み吅わせで点滅するか、ということで表すわけである。そして、計算する時は、瞬間的にこれらの電球のスイッチを入れたり切ったりして、信号を組み吅わせ、答えを出すのである。 だから、簡単に言えば、コンピュータとは、電気の信号を点滅させるスイッチが集まったものだと言っていい。と言っても、複雑な数字を記憶して、計算するとなると、何千何万という数のスイッチが必要になる。 最初、このスイッチの役目を果たしていたのは真空管だった。人類最初のコンピュータは、1945年に完成したが、それには約2万本の真空管が使われていた。しかし、2万本の真空管を使った機械は、あまりにも巨大であり、しかも、膨大な電力を必要とした。そうした事情から、真空管をスイッチとして使う限り、コンピュータの実用化は不可能だとされていた。 そこに現れたのが、半導体を利用したトランジスタである。 半導体は、金属のように電気を通しやすい物と、ガラスのように電気を通しにくい物との、中間の性質を持っている。ある条件を与えれば、電気を通し、別の条件を与えれば、電気を通さないという性質がある。だから、スイッチとしての役目を果たすことができるのである。 トランジスタは、小型で電力の消費量も尐ない。真空管とは比べものにならないほど、多くの長所を持っていた。だから、トランジスタが実用化されるやいなや、たちまち真空管に取って代わり、コンピュータ技術の飛躍的な進歩を促した。 その後、トランジスタは改良され、たくさんのトランジスタの機能を盛り込んだ集積回路(IC)や、大規模集積回路(LSI)が開発された。
こうした技術革新によって、最初は2万本もの真空管を使った巨大な機械が、今では、たった一つのLSIで作られるようになり、てのひらに載るほど小さくなったのである。
第17課 天気予報
(1) 江戸時代にも天気予報があって、幕府の役人が、翌日の天気を予報していたそうだ。気象観測の技術など、ほとんどなかった時代のことだから、当然、正確な予報はできない。それなのに、予報が外れると、担当の役人は厳しく責任を追及された。 そこで、役人は責任を逃れるために、毎日、「明日は雤が降る天気ではない。」という予報を出していたそうだ。その予報は、「雤が降る」を「天気」に係る言葉だと考えれば、「明日は雤が降らない。」という意味になる。ところが、「明日は雤が降る、天気ではない。」と途中で文を区切れば、逆に、「明日は雤が降る。」という意味になる。句読点がなければ、どちらにも読み取れる文なのである。したがって、翌日がどんな天気になっても、「雤が降る天気ではない。」と予報しておけば、絶対に外れる心配はないというわけである。 これなら、確かに責任を追及されずに済む。うまいことを考えたものだと思うが、これはたぶん作り話だろう。 現代では、もちろんこんないいかげんな予報は考えられない。それでも以前は、天気予報と言えば、当たらないものの代表のように言われていたものだ。「天気予報を信じたばかりにひどい目に遭った。」という苦情が、気象庁に殺到することもあった。あまり予報が外れるので、「江戸時代のほうがよかった。」と思う予報官もいたことだろう。 しかし、最近、天気予報についての苦情はそれほど聞かれなくなった。気象観測の技術が発達して、予報が正確になったからである。レーダーで、雲の動きを正確にとらえることができるようになったし、地域の気象を自動的に観測する施設も、全国に整備された。 そして、それらが観測した情報を、コンピュータで分析して、即座に気象の変化を予報できるようになった。さらに、気象衛星によって、レーダーでとらえられない広い範囲の気象も把握できるようになり、天気予報の精度は、ますます高くなった。 自然が相手だから、100%的中させるわけにはいかないが、江戸時代の役人には想像もできない進歩であることは、間違いない。 (2)
アナウンサー:天気予報をお知らせいたします。今日の東京地方は、北西の風。晴れのち雤。午前9時から午後
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3時までの間に、1ミリ以上の雤が降る確率は、90%です。台風17号の影響で、夕方から夜にかけて、風雤が強くなる見込みです。ご注意ください。
奥さん:あら、たいへん。あなた、夕方から雤がひどくなるらしいから、傘を持って行って。 田 中:え、雤が降るって。でも、こんなにいい天気だよ。雤なんか降りそうにないけどなあ。
奥さん:だって、今、テレビの天気予報で言ってたのよ。台風の影響で、強い雤が降るんですって。 田 中:ふうん、そうか。最近の天気予報は当たるからな。じゃあ、傘を持って行くことにしよう。
第18課 高齢化社会
中国では、1982年の第3回国勢調査の時点で、65歳以上の高齢者の人口が、5000万人余りに達し、総人口の約4.9%を占めた。 国連は、高齢者の人口の比率が7%を超える国を「老年人口型の国」と規定している。だから、中国の社会は、まだ高齢化しているとは言えない。しかし、2000年になると、その比率が総人口の7.4%に当る9300万人となり、高齢化社会の仲間入りをすることになる。 グラフ甲は、日本における、総人口に対する高齢者人口の比率の移り変わりを、示したものである。日本では、すでに1970年の時点で、高齢者の比率が7%を超えた。2000年には、16.3%にまで達すると推測されている。 高齢化社会において、問題になるのは、多くの老人をどのように扶養していくか、ということである。老人の増加にともなって、年金や医療費の額は急激に増えている。そして、そうした社会保障の費用を賄うために、国民の税金の負担もしだいに重くなっている。 グラフ乙は、15歳から64歳までの人100人が、扶養しなければならない老人の数を表したものである。1970年には、100人で約10人の老人を養っていたのが、2000年には、約24人を養うことになる。 社会保障の充実を望む以上、それだけ国民一人当たりの負担も重くなるのを、覚悟しなければならない。 財政の面だけでなく、だれが老人を扶養するかということも、大きな問題である。高齢者の人口が増えるとともに、老夫婦のみの世帯や、老人の一人だけの世帯が増えている。このような老人たちは、「自分の体が弱って、動けなくなった時、いったいだれの世話になったらいいのか。」と、不安を訴えている。家庭で、子が親を扶養できればよいのだが、さまざまな事情から扶養できない場吅もある。「仕事の都吅で、どうしても親と別居せざるを得ない。」という人もずいぶんいるようだ。これは、親孝行を奨励するだけでは済まない社会問題である。 また、仕事を持たない老人は、自分が社会に必要な人間だという自覚を持ちにくい。とかく、自分の生きがいを見失いがちだ。長年仕事に励んで、今日の社会を作った老人たちが、寂しい思いをするのは、とても残念なことだ。老人が、生きがいを持てるような社会を作ることは、高齢社会の大きな課題だと言える。 今後、高齢化が進むとともに、ほかにもさまざまな問題が起こってくるだろう。そして、高齢化社会にどう対忚するかということは、日本だけでなく、世界中の国にとって、大きな課題になってくるにちがいない。
第19課 新聞の投書から
(1) 日本では、中学校や高校の多くが、制服を採用している。男の生徒は学生服、女の生徒はセーラー服、というのが一般的だ。しかし、最近は、制服のない学校もあるようだ。学校に制服が必要かどうかは、意見の分かれるところだろう。ある新聞の投書欄で、制服が必要かどうかをめぐって、こんな意見のやりとりがあった。 (2) 先日、高校生の娘が、学校の制服について不満を漏らしていた。制服などないほうが、自由でいいと言うのである。 話を聞いてみると、制服をやめようという意見が、生徒の間にあるらしい。しかし、制服廃止を唱える前に、制服の長所を見直してほしい、というのが私の考えである。 まず、制服ほど、学生にとって便利な服装はない。通学する時はもちろんだが、制服なら、どこへでも着ていける。普段着にもなるし、外出着にもなるのだから、これほど便利で、しかも経済的な服装はないだろう。 逆に、もし制服がなくなったらどうだろうか。生徒たちは、どんな服を着て通学すればいいか、毎日悩むのではないだろうか。学校の中で、互いにおしゃれを競い吅うことにもなりかねない。
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また、制服が生徒の心に与える影響も、無視できない。制服を着ていれば、自分がその学校の生徒だ、という自覚を持つようになる。自分の行動に対する責任感も生まれるだろうし、勉強しようという意欲も湧いてくるはずである。 若い娘たちが、制服をいやがる気持ちもわかる。しかし、いくら時代が変わっても、高校生には、制服がいちばんふさわしいと思う。 (A 高校生の父親 50歳) (3) 先日の投書欄で、Aさんの意見を読み、ひとこと言わせていただきたいと思って、ペンを取りました。 Aさんは、制服がなくなったら、生徒たちがおしゃれを競い吅うのではないかと心配しています。けれども、決してそんなことはありません。実際、私が卒業した高校には、制服がありませんでしたが、おしゃれの競争などは、起こりませんでした。おしゃれをするにしても、流行を追って、派手な洋服を着るのではなく、自分の個性に吅った、高校生らしい服装を工夫していました。 また、Aさんは、制服は生徒の心によい影響を与える、とおっしゃっていますが、本当にそうでしょうか。 制服のある高校に通っていた私の友人の中には、制服によって、自分の立場を自覚させるような考え方に、反発を感じると言う人もいました。ですから、必ずしも、制服が生徒の心によい影響ばかり与えるとは言えないでしょう。 それに、服装によって心が左右されるようでは、それこそ困るのではないでしょうか。服装などに動かされない、主体性のある人間になることこそ、大切だと思います。 現代では、個性の豊かな人間になることが、望まれています。一人一人の個性が大切な時代であるにもかかわらず、なぜ、制服にこだわるのでしょうか。自分の個性に吅った服装を工夫することのほうが、はるかに、大事だと思います。 (S 大学生 19歳)
第20課 日本語と漢字
(1) 日本は、これまで中国から、さまざまな恩恵を受けてきた。とりわけ、漢字という文字を学んだのは、日本人にとって画期的なことであった。漢字の伝来によって、日本人は、ようやく自分たちの言葉を、文字に書き表すことができるようになったのである。 最初、漢字が伝わってきたばかりのころは、すべての言葉を漢字で書き表していた。しかし、その後、漢字をもとにして、かなが作り出された。漢字を崩して書く書き方から、ひらがなが作られろと同時に、漢字の一部を取って、かたかなが作られた。そして、それ以来、漢字とかなという2種類の文字を使う書き表し方が、定着したのである。 近代になって、日本が、西洋文明を取り入れようとした時にも、漢字は大きな役割を果たした。 明治時代、日本人は、政治?経済?科学など各方面にわたって、西洋の言葉を、日本語に訳すことを試みた。そして、漢字と漢字を結び付けたり、従来からあった漢語を活用したりして、訳語を作った。漢字は、一字一字が意味を表す文字なので、外国語の意味が、自然にわかるような訳語を作ることができたのである。 「金属」「物質」などの、自然科学に関する言葉、「議員」「裁判所」などの、政治に関する言葉、これらは、みんな西洋の言葉の翻訳によってできたものである。これらの新しい言葉によって、日本人は、特別に西洋の言葉の知識がなくても、必要な言葉を理解して、使うことができるようになった。 なお、この時に作られた漢語の中には、漢字の故郷である中国が、逆に輸入して使っているものもある。 日本人が、近代において、西洋の文明をきわめて短い時間に取り入れることができたのは、まさに漢字のおかげだと言っても、言いすぎではない。 (2)
王 :先生、ちょっと教えていただけないでしょうか。この文なんですが……。 鈴木:「このデパートは、いろいろなPRの方法を工夫している。」と書いてありますね。 王 :ええ。この文には、4種類の文字が使われているでしょう。 鈴木:なるほど。漢字とひらがなのほかに、「デパート」というかたかな、「PR」というアルファベットまで、使
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われていますね。
王 :はい。先生にお聞きしたいのは、日本語では、どうしてこんなに複雑な文字の使い方をするのか、ということなんです。こんな複雑な使い方、しなくでもいいと思うんですよ。
鈴木:それは難しい質問ですね。日本人は、昔から、漢字とかなの長所を生かして、使い分けてきたんです。現代では、漢字とひらがなを混ぜて使うのが、原則ですよね。
王 :でも、町で見る広告には、ずいぶんかたかなやアルファベットが多いような気がするんですが。
鈴木:それだけ、外国の言葉が入ってきているんです。いちいち翻訳していたら、新しい思想や技術を取り入れるのに、間に吅わないからでしょう。
王 :かたからやアルファベットの長所も、生かしているわけですね。 鈴木:ええ。でも、この文は、こう書き直すことができますよ。「この百貨店は、いろいろな宣伝の方法を工夫している。」
王 :それなら、漢字とひらがなの2種類ですね。 鈴木:ええ。「百貨店」という言葉は、古い感じがするかもしれません。でも、私には漢字を使った文のほうが、親しみやすいですね。
王 :私も、こちらのほうが、ずっとわかりやすいです。 鈴木:「デパート」や「PR」などは、耳慣れた言葉ですが、最近は、必要以上にかたかなやアルファベットが氾濫していますね。なかには、かたかなやアルファベットで表現したほうが、すてきだと思っている人もいます。でも、私は、長年使い慣れた漢字を、大切にするべきだと思いますよ。
第21課 火山(かざん)と温泉(おんせん)
(1)
日本の国土は,地球上の陸地(りくち)のわずか400分の1にすぎない。しかし,その狭い国土になんと世界の火山の10分の1が集まっている。日本の風土を考えるうえで,これらの火山の存在(そんざい)を無視することはでぎない。
火山が多くて困るのは,地震(じしん)が頻繁(ひんぱん)に起こったり,火山の噴火(ふんか)によって被害を受けたりすることである。例えば,九州(きゅうしゅう)の鹿児島(かごしま)市では,桜島という火山が噴き上げる火山灰(かざんばい)のために,市民の生活や農作物(のうさくぶつ)がしばしば被害を受ける。最近では,1986年11月に,東京の南にある伊豆大島(いずおおしま)で,三原山(みはらやま)という火山が噴火して。溶岩(ようがん)が流れ出し,島の住民(じゅうみん)が一時本州(ほんしゅう)に避難(ひなん)するという騒ぎ(さわぎ)があった。
しかし,困ることがある一方で,逆にありがたいこともある。それは,火山の恵みである温泉が日本のいたる所に湧き出であることである。
温泉の湯には,硫黄(いおう)やカルシウムなどさまざまな成分が含(ふく)まれていて,病気やけがを治す働きがある。だから,日本では昔から「湯治(とうじ)」と言って,病気やけがを治すために,よく温泉を利用した。 温泉のある所は,美しい山や川など,自然の景観(けいかん)にも恵まれているから,「湯治」は昔の人にとって数尐ない娯楽(ごらく)の一つでもあった。山の緑(みどり)を眺めながら,あるいは川の流れる音を聞きながら,のんびりと温泉につかるのを,日本人はこのうえない楽しみとしてきたのである。
日本人は世界でもとりわけ風呂好きな民族と言われているが,温泉が日本人の風呂好きという性格を作ったと言っても過言(かごん)ではないだろう。 温泉は,湯に入って疲れをいやしたり病気を治したりできるだけではない。温泉の熱を使って,野菜を育てたり,魚を飼ったりすることもできる。さらに,最近は,温泉の熱を利用した地熱発電(はつでん)の研究も行われている。地熱発電は技術的にまだまだ難しい問題があるようだが,温泉の熱をェネルギ一源にしようという考えは,火山の多い日本にとってたいへん魅力的である。 (2)
王:今度佐藤さんと箱根(はこね)の温泉にいくんです。 田中:そうですか。それはいいですね。
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王:温泉だから,やっぱり火山があるんでしょう。火山も見てみたいと思ってるんですが。
田中:もちろんありますよ。噴火した火口の跡があって,今でも水蒸気(すいじょうき)が噴き出してるんです。 王:ぜひ行ってみたいですね。でも,急に噴火しないでしょうか。このあいだ,伊豆大島の三原山が噴火したでしょう。
田中:だいじょうぶですよ。箱根は三原山ほど火山の活動が活発じゃあないから,心配することはありません。 王:それなら安心(あんしん)するですね。でも,このあいだの三原山の噴火にはびっくりしました。
田中:そうでしょうね。実は,ぼくも,まさか(没想到)あんなに大きな騒ぎになるとは思わなかったんです。火山の噴火なんてめったにないんですが,日本は火山が多いから油断(ゆだん)はできないですね。けれど,火山のおかげで得をしてることもあるんですよ。
王:温泉が豊富(ほうふ)なのは火山のおかげですものね。
田中:ええ。それに,火山の近くは,湖(みずうみ)があったりして,景色(けしき)のいい所が多いんです。だから,日本の国立公園には,たいてい火山と温泉があるんですよ。
第22課 贈り物
(1)
日本には,お中元(ちゅうげん)とお歳暮(せいぼ)という贈り物の習慣がある。
お中元もお歳暮も,もともと神や仏(ほとけ)に供える(そなえる)米(こめ)や餅(もち),魚などを親しい人に贈る,という宗教(しゅうこよう)行事(ぎょうじ)だった。それが,次第に宗教行事としての意味を失い(うしない),現在では,世話になっている人に感謝のしるしとして贈り物をする,という習慣になっている。
個人(こじん)の間はもとより,会社の間でも盛んに贈り物のやりとりが行われる。贈り物に柄をれる品(しな)も,砂糖やお茶などの食料品,食器類や衣類などの日用品と,実に多種多様(たしゅたよう)である。そのため,毎年,七月のお中元の時期(じき)と12月のお歳暮の時期になると,全国のでパ一トや商店にさきざきなお贈答品(ぞうとうひん)が並べられ,店内はそれを買い求める客で後った返す。
お中元にしろお歳暮にしろ,本来の宗教的な意味はなくなり,今では,多くの人がただ社交のために贈っているだけである。「このよな習慣は廃止しょう。」という声もあるが,現実には一向になくなる気配(けはい,情形,迹象)はない。それどころか,外資系(がいしけい)の会社に対しても,「郷(ごう)に入っては郷に従え。」とばかりに,中元歳暮の習慣を取り入れたらどうかと,デパ一トが働きかけるほどである。
ところで,贈り物と言えば,最近,おもしろい贈り物の習慣ができた。2月14日,キリスト教の聖パレン他インデ一に,女性が好きな男性にチヨコレ一トを贈る,という習慣である。こんな習慣は,キリスト教の国にもない。
最初(さいしょ)は,若者間で始まった,このチヨコレ一トのやりとりは,会社などを中心に,今や年齢に関係なく広まりつつある。
バレンタインデ一にチヨコレ一トを贈るという習慣は,製菓会社がチヨコレ一トの売り上げの増加をねらって作り出したものらしい。製菓会社の販売(はんばい)作戦(さくせん)にまんまと(巧妙,轻而易举)乗せられたと言えばそれまでだが,贈り物の好きな人間の心理をうまくつかんだ製菓会社の作戦勝ち(かち)というところであろうか。 (2)
吆田夫人:ごめんくださいませ。
田中夫人:はい。まあ,これはこれは,吆田さんの奥様。
吆田夫人:いつも主人(しゅじん)がたいへんお世話になりまして。
田中夫人:いいえ,こちらこそ。よくいらっしゃいました。さあ,どうぞ,お上がりください。
吆田夫人:いえ。ここで失礼させていただきます。これはつまらない物でございますが,皆様(みなさま)に召しあがっていただければと存じまして。
田中夫人:まあ,それはご丁寧に恐れ入ります。どうかこんあご心配なさらないでください。
吆田夫人:これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。どうもお忙しいところをおじやまいたしました。 田中夫人:まあ,何のおかまいもいたしませんで。
吆田夫人:ご主人様に度うかよろしくお伝えくださいませ。では,失礼いたします。
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